004:ガンと言うも言わぬも辛い。

甲状腺がん 発覚編 004:がんと言うも言わぬも辛い。

 

2017年3月2日(木) 実家

 

トキは日中のうちに両親に電話をして、夜になってから同じ市内にある実家を訪ねました。「大事な話がある」と伝えていたのに「今、帰って来たけん、ちょっと待って」と、テレビを見ながら晩御飯を食べる両親は割かし呑気でした。それもそうでしょう、今から

 

息子に『がんが見つかった』なんて聞かされるとは予想だにしなかったでしょうから。

 

逆にトキは両親が、どんな反応をするか、そればかりを考えていました。こんな話、話す方も聞く方も悲しい思いしかありません。トキは、いっそ、親には黙っておこうかと思いましたが、がんで甲状腺とリンパ節を全摘するのです。もはや、黙っている方がおかしいでしょう。トキは思いました

 

 

「ああ、ほんの1か月前には、ここで、ウタと祖父母がクッキーを作り、笑いの絶えない時間を過ごしていたのに」。

 

そして、その時が来ました。

トキは「このところ、検査に行っていた」という前段を話して、用意していた言葉を差し出しました。

 

「死ぬわけじゃないっちゃけど、甲状腺のがんってさ」。


 

両親は絶句し、一瞬にして、重い空気が立ち込めました。トキは、それを振り払うために必死に、大丈夫らしいという要素をいくつも話しました。インターネットで散々、調べたことが、ここで功を奏しました。

 

帰り際、駐車場まで歩く夜道で父親が 「大丈夫!頑張れ!頑張れ!」 と、トキの肩を抱くように擦りました。トキは思いました。

 

今まで父親に、こんなことをされたことはない。 

 

違和感さえ覚えましたが、父親なりに心情を整えながら絞り出した表現だったのでしょう。

 

その翌日、会社にて。会社のスタッフには誤魔化せません、誤魔化す必要もありません。今のところ、死ぬわけではないので、トキは全てを話し、協力をお願いをしました。

  

がん=死ぬというイメージは強い。

 

トキもそう思っていました。精密検査前ではありましたが、会社のみんなには「別に余命なんぼとか、死ぬわけじゃないので」という常套句を何度も被せながら必死に話しました。勿論、みんな、「仕事のことは気にしないで治療に専念して」と言ってくれました。偶然にも年度末で、トキが担当していた、いくつかの仕事の形が付きつつある時期でもありましたが、いずれにしても『がんなので』と言われたら、誰もが、そう言わざるを得ないでしょう。対外的には『体調を崩して、暫く入院している』という口裏を合わせてもらうことなりました。嘘を付く必要はありませんが、トキは考えていました。

 

誰に、どこまで話すのか?『病名』は隠すべきか?

 

家族と親族、会社以外に、絶対に話さなければならないのが、バンドのメンバーたちです。手術をすると、今までのように歌えなくなるかも知れないからです。医師の話からすれば、もう一生、高い声と大きいを出すことは出来ないのでしょう。それが、どの程度なのか、わかりませんが、トキは声が高い、トキのキーに合わせて作った曲たち。今の時点では「他の誰かが歌うことなんて考えられない、考えたくない」。トキは失うことへの未練か?恐怖か?がんだと言うのに、そんなことばかり考えていました。 

 

現状の立場としては、今年はトキが小学校の頃に所属していたソフトボールチームの記念式典があります。トキは、その実行委員です。山笠も当番町の役員、おまけに、住んでいるマンションの管理組合の理事長でもあります。トキは思いました。「よりによって、5年に一度くらいのことが全て今年なんだ。おそらく、1か月の休みを頂き、4月の中旬には戻ってこられる。だが

 

首に隠しようのない大きな手術痕を引っ下げ、「ずびばぜん」と低い声で復帰して来る。

 

「どうしたと?」という問いに何と答えればいい?せめて服で隠せる所なら良かったのに。

 

トキは、がんの場所変更を願うなど、もはや、いかれた精神状態でした。

 

取り急ぎ、マンションの管理組合については、副理事長に暫くの代理をお願いしました。ソフトボールの記念式典については、同じく実行委員の先輩と同期の仲間だけには、直接、電話で話をしました。

 

二人とも、その一言目は「死なんよね?」でした。

 

二人にとって、トキが暫く式典の準備から抜けることなんて、どうでもいいのです。二人の幼馴染が何度も確認するように聞いた「死なんよね?」という言葉が、改めて、がんという病気のイメージを浮き彫りにし、

 

トキに自分が、それなりの大病人であるという自覚を際立たせました。