052:映画のワンシーンのよう。

中咽頭がん 治療編3 052:映画のワンシーンのよう。

 

2017年6月9日(金)(抗がん剤治療2/2回目・放射線治療33/39回目)

 

 

トキは天気の良い日に、リハビリ室から外の庭に出て散歩をしています。庭にはハカタユリなど、珍しい花も咲いています。今までトキは花のことなど気にすることはありませんでした。 


 

2年前に、大病から復帰した仕事仲間が、「今は頬に当たる風さえ、自分が生きていると感じさせる」 言っていたことを、トキは思い出していました。しかし、トキは全く持って風を感じる余裕はありませんでした。

 


 

状態が良くなっていった、その仕事仲間とは違い、トキの場合、日々、状態としては悪くなっていくのです。

 

左の喉の奥に発症した口内炎の範囲と痛みは徐々に増しています。処方されている塗り薬があるのですが、自分で鏡を見ながら麺棒を使い、喉の奥に塗るのは困難です。『おえっ』 となります。しかも、着きが悪く、喉の奥に垂れ、誤って飲み込んでしまいます。トキは看護師に相談して、塗ってもらいました。すると看護師も・・・「確かに、垂れますよね」と笑いました。何のための塗り薬でしょうか?・・・かと言って代替案はないのです。トキは単純に耐えることにしました。

 

 

さて、親友のI君がアメリカのハードロックバンド、MR.BIGのライブチケットをとってくれました。トキは、その大ファンで、デビューから30年以近く追っかけています。ドラムスのパット・トーピーがパーキンソン病と闘いながらも、懸命にドラムを叩く姿はトキの支えでもありました。コンサートは10月です。トキは思いました。

 

『ここは、流石に退院してるやろうけど、ヨード治療で九大病院に入院してるかもなあ・・・』 


 

食事時に口内炎が、かなり痛みます。トキは今までにも増して、水で流し込む作業が忙しくなってきました。そんな中、酸味の味覚だけは何となくですが、戻って来ているように感じていました。味を感じるので酸っぱいものを欲するのですが、酸っぱいものは、口内炎にしみます。

 

『いたみ』と『さんみ』のせめぎ合いです。

 

2017年6月10日(土)(抗がん剤治療2/2回目・放射線治療33/39回目)

 

朝食前、トキはデイルームで軽い体操をしていたところ、60代くらいの女性に声を掛けられました。

 

「おばちゃんね、今度、緩和ケアのとこに移ることになったとよ」

 

6階には頭頸科の病棟と、科は、わかりませんが、女性患者用の病棟があるため、ここでは女性の方々とも顔を合わす機会が多くあります。トキは、このおばちゃんとも何度か、ここで顔を合わせており、軽く挨拶をする仲でもありました。

 

「もう、やれる治療法がないんだって・・・」

 

そう言って、おばちゃんはニッコリとしました。

 


 

トキも動じず、僅かに微笑み、「そうですか」 と、一言だけ返しました。そして、病室へと戻っていく、おばちゃんの背中に、トキは深々と頭を下げました。

 

トキは入院中に色んな場面を目にしてきました。

 

医師に泣きつく若い女性患者。

 

深刻な顔で話す、親族たち。その傍を無邪気に走り回る幼子たち。

 

間もなく声帯を摘出する父に携帯電話のメールの使い方を必死に教える娘。

 

熱にうなされる息子の汗を1日中、拭いている母親など、

 

ここでは、どこを切り取っても、そのままカメラを回せば、映画のワンシーンのようです。

 

また、リハビリテーション室には各科から色んな患者が集まります。

 

ほとんどが、ご年配であるため、一見、通常の高齢者施設のようでもあります。明らかに違うのは、髪の毛が無い理由が年齢ではない方もいることです。

 

ここでは、トキは若造ですが、勿論、トキよりも、さらに若い人も沢山います。

 

薄くなった髪の毛を気にすることもなく、小さなおもりを上げ続ける、ロックTシャツを着た青年。

 

マスクと、ニット帽の隙間から可愛らしい目だけを覗かせながら、必死に松葉杖で歩く女子高生。

 

そして、担当のスタッフに付き添われて来ている小学生の女の子もマスクに、ニット帽。

 

この場所にいるせいか、皆、少し痩せて、青白い顔をしているようにも見えます。この子たちが、リハビリに来ていない日は、『今日は体調が悪いのかな?』なんて、トキは想像をしてしまいます。

 

きっと、同じ年頃の子は、遊んだり、おしゃれをしたり、恋をしたりしていることでしょう。しかし、この子たちは人生の中で今しかない大切な時間を、治療の副作用に耐え、一生懸命、リハビリをしながら過ごしているのです。

 

それでも、皆、真剣な眼差しで、リハビリと向き合いながら、スタッフの呼びかけに笑みを溢す余裕さえも見せます。

この子たちの2倍も3倍もの年月を生きてきたトキが、この子たちを前にして『なんで、僕が?』なんて悩むのは愚かなことなのです。