湖上の国と風の女王

 ~ポセイドンの音叉と湖上の王冠にまつわるお話~ 『湖上の国と風の女王』

 

 『ティア』の中で、最も大きな湖『サニー湖』のある国がカスパー国です。カスパーの土地は、その殆どをサニー湖が占めています。そのため、城も町も水上に造られており、移動の主な手段は船です。特産物はサニー湖で獲れる魚介類で、サニー湖にしか生息していないものも多く、それらはティアの中でも貴重なものです。この魚介類を水路を使って周辺国に運んだり、加工したものは遠い国々へも運ばれ、貿易の大切な資源となっていました。

 そんなカスパー国を四十年間も平穏に治めてきた国王が、サニー湖の新しい水路を視察に行く途中、不運にも乗っていた船から落ちて死んでしまったのです。そこで、長男のガルバ王子が王位を継承するものと、誰もが思っていました。ところが、ガルバ王子も前国王の葬儀の夜に城の高台から足を滑らし、落ちて死んでしまったのです。酒を飲んで、かなり酔っていたことは間違いありませんが、実は毒を盛られたのではないか?という噂もありました。いずれにしても、相次ぐ王族の不幸に民は哀しみと共に怯えも感じていました。さらに、王族の不幸は続きます。

「兄上を殺したのは、お前だろ?ナトラン!」

「何を言う、殺したのは、お前だろ?イギン!」

 お互いを疑ったのは次男のイギン王子と三男のナトラン王子でした。彼らは双子なのです。イギン王子は湖の東の城に、ナトラン王子は湖の西の城に、それぞれ分かれて住んでいました。ところが、二人とも「いつか、湖の北にある、国王の本城に住みたい!」と機会をうかがっていたのです。

 早速、双子の王子は後釜争いの準備を始めました。ガルバ王子の死の真相が謎のまま、その勢いは日々、増す一方でした。国を東と西に分けた内戦です。湖の北にある、国王の本城は、その決戦場になろうとしていました。混乱したのは、もともと国王に仕えていた家来達です。

「我々は、一体、どちらの味方に付くのでしょうか?」皆、口々に不安を漏らし、殆どの者が東にも西にも行けぬまま、本城から動けずにいました。

「いや、我々は、どちらにも付かない!」

 高々と声を上げたのは国王の親衛隊であるロイヤル隊の隊長ナクリです。ナクリは武術にも学問にも長けた、正義感の強い青年です。部下達からも慕われていました。しかし、相次ぐ王族の不幸を防げなかったことに、深い責任を感じていました。大臣達からも「ナクリを隊長の職から外すべきでは?」という声もありましたが、この混乱を裁き、導ける者は今のカスパー国には誰もいなかったのです。

 

 この時、マキリはカスパーの隣にある、モルフォース国を訪れていました。モルフォースのアサジという女性の昆虫博士と一緒に蝶の研究するためです。モルフォースは水と緑に恵まれ、鮮やかな蝶達が舞う、とても美しい国です。カスパーとは水路でも繋がっており、僅かですが貿易も行っていましたが、両王家の交流は殆どありませんでした。モルフォースは代々、女王が国を治めてきましたが、昔から『女王になる者は風を操ることが出来る魔女』という言い伝えがあり、周りの国々から恐れられてきました。そんな、謎めいた国でもあるのです。

「ええい、醜い者どもめ!どこまで醜いのだ!」

 怒鳴り声を上げたのは、モルフォースのオールル女王です。女王の髪飾りやドレスには美しい宝石で蝶が模ってあります。また、女王が暮らす宮殿には、そこかしこに蝶の絵が美しく描いてあります。蝶はモルフォースの象徴なのです。蝶のように美しく華やかなものを愛するオールル女王にとって、隣国の醜い争いは耐えがたい苦痛だったのです。

 ある日の朝、オールル女王は、アサジ博士を宮殿に呼びました。アサジ博士は、オールル女王の相談役でもあったのです。

「アサジよ、カスパーの状況は、いかがなものか?」

「はい、女王様、既に各地で小競り合いが始まっており、イギン王子とナトラン王子による、いわゆる東西決戦も間もなくかと思われます」

「ああ、醜い!」オールル女王は険しい表情で身震いしました。ところが、次の瞬間、あることを思い出し、ニヤリと表情を一転させました。

 

 その日の夜、マキリと案内役の兄弟が乗った手漕ぎ船はモルフォースからカスパーへと繋がる水路を静かに進んでいました。

「マキリ様、間もなく国境ですよ!」

「しっ、声が大きいぞ!」兄のキプロスが年の離れた弟のアドラスを小声で怒鳴りました。

「全く君達の国の女王様は、とんだ難問をくださったものだ。一体、どうやって、カスパーの兄弟ゲンカを止めろというのかね?」と、ため息をつくマキリにキプロスが声をかけました。

「女王様は既に答えを知っておられるのです。その答えが間違っていないか、マキリ様に確認をお願いされたのですよ」

「ならば、その答えを、なぜ、私に教えてくれないのだ?」

「あなたなら、それが出来ることも、きっと、お見通しなのでしょう」

 とても危険な任務を任されたというのに、キプロスの落ちついた様がマキリには納得がいきませんでした。そこで、気になっていた、あの噂のことを聞いてみました。

「なあ、キプロス」

「なんでしょう?」

「代々、女王は・・・魔女という噂は本当なのかい?」

 キプロスは少し間をおいて答えました

「私には、わかりません。ですが、もし女王様が魔女だとしても、何も問題はありません」

 モルフォースで既に多くの人々と交流を深めてきたマキリは、その誰もが派手なドレスを纏った女王とは違い、質素な雰囲気ながらも幸せそうだったことを思い出しました。

「キプロス、君の言うことは何となくわかるよ。ただ、女王様は何というか、つまり、その・・・派手好きな方だな!」

「女王様は豪華なものではなく、美しいものがお好きなのです。それは外見だけにこだわったものではないことを私達は知っているのです」とキプロスは軽く笑みをこぼしました。

 その笑顔にマキリは自分の卑しい妬み心が恥ずかしくなりました。

「兄貴、国境だ!」アドラスが、今度は小声で知らせました。

二百メートル先に大きな水門があり、両脇の監視塔からはカスパーの門番が目を光らせています。

「暗闇とはいえ、これ以上、近づくと気づかれるぞ」とマキリが心配そうに言いました。

「マキリ様、頭を低くしてください」そう言ってキプロスは漕いでいたオールを船の中に仕舞いました。一方、アドラスは慣れた手つきで船の後方にあるレバーを動かしました。すると、船の前方から鱗状の屋根が飛び出し、箱状となった船は潜水艇のように水路の底へと潜り始めました。

「なるほど、そういうことか!」とマキリは感心しました。「だが、水門は閉まっているぞ?」

「目指すは監視塔の柱です。水中にトンネルのような穴が開いた場所があるんです」

「因みにこの船の動力は?」

「伝導石です」

 それを聞いたマキリはニヤリとしました。伝導石は周辺にある磁場から電気を集めて放出する力があります。石の大きさ、濃度、角度などの調整により、狂いのない正確な動力を設定することも出来ます。この伝導石が船の端々に設置されているのです。伝導石によって導かれた船は水中を静かに進みます。そして、まるでサメのように監視塔の柱部分にある水中トンネルをするりとすり抜けました。

「見事だ、レテノル・エガ!」マキリは思わず叫んでしまいました。

「マキリ様、しっ!」キプロスの睨みに、マキリは申し訳なさそうに手で口を押えました。

 やがて、マキリ達が乗った船はサニー湖の水面にゆっくりと浮上しながら元の姿へと形を戻しました。

「ぷぱぁー」アドラスが夜空を見上げて思いっきり息を吐きました。「はあ、はあ、思わず息を止めちゃいました・・・ところで、マキリ様、レテノル・エガって?」

「ああ、伝導石使いのレテノルさ。こんな仕事が出来るのは彼をおいて他にいないだろう。ティアの道具職人で彼の名を知らぬ者はいないさ」

「父ちゃん、もう死んじゃったけど、そんなに有名だったの?」アドラスは嬉しそうに聞きました。

「ああそうだ。多くの道具職人が、道具の部品として使う伝導石の加工をお願いするために、レテノルのもとを訪れたという。伝導石の加工術では、これからも、彼の右に出る者は、なかなか出ないんじゃないかな。この船だってレテノルの・・・」マキリはふと気づきアドラスに尋ねました。

「アドラスよ、今、父ちゃんって言ったのか?」

「そうです」

「ということは、この船を作ったのは・・・キプロス、君なのかい?」

「ええ、そうです」とキプロスは少し恥ずかしそうに答えました。

「伝導石の加工も君が?」

「ええ、まあ」

 マキリは驚きながらも、感心の眼差しで改めて船を見回しました。

「屋根の部分は僕が作ったんですよ!」アドラスが自慢げに言いました。「俺、父ちゃんのことは小さかったから、よく覚えていないけど、俺も父ちゃんみたいになれますか?」アドラスがマキリに聞きました。

「ああ、きっとなれるよ。その前に、まずは兄ちゃんみたいになることだな」

「はい!」

 目を輝かせる弟と照れくさそうな兄。マキリは年の離れた兄弟の仲睦まじい様子に安堵感を感じていました。しかし、それもつかの間・・・・。

バシャ!バシャ!バシャ!

 何かが水に飛び込む音、それは暗闇の向こうから放たれた矢によるものでした。キプロスが船の中から、慌てて盾を取り出して叫びます。

「マキリ様、伏せてください!アドラス、早く屋根を!」

 ところが、すっかり怯えてしまったアドラスは、いつものように操作を出来ませんでした。

「アドラス、何をやっているんだ!もういい、お前も早くこっちに来い!」

 しかし、キプロスの声は届かず、アドラスは震える手で、ただただ、同じ動作を繰り返していました。その時です。一本の矢が、アドラスを目がけて飛んで来ました。

「アドラス!」キプロスが懸命に叫びました・・・次の瞬間。

バババッ!シューン!シューン!

 マキリ達の後方から炎の矢が、まるで花火のように一斉に放たれました。その炎が暗闇の向こうにいる敵を照らし、その矢が暗闇の向こうにいた敵を一掃しました。それは、あっという間の出来事でした。

「お兄ちゃん!」

「アドラス、無事だったか!」

 アドラスを狙った矢も、炎の矢によって撃ち落とされていました。しかし、直ぐに次の危機が迫ります。炎の矢を放った何者かがマキリ達に近づいて来ました。霧が晴れてぼんやりと姿をあらわしたのは、いくつも槍や弓が備え付けられた、大きな黒い船です。船首に仁王立ちした騎士を月明かりが照らしました。それは、黒い鎧を纏い、黒い仮面を被った、全身黒づくめの騎士でした。その黒騎士は仮面から、ギョロリと白い眼を覗かせて、マキリ達をジロリと睨んでいます。

「彼らが、待ち合わせの仲間か?」怯えた表情でマキリがキプロスに小声で聞きました。

「おそらく・・・」

「お、おそらくって?」

 

 敵とも味方ともわからぬ黒騎士の船に付いて行くこと一時間、見えて来たのは前国王が暮らしていた、北の本城です。船を岸に付けた一行は城の裏手にある隠し扉から地下へと向かいました。驚いたことに地下には秘密基地のような空間が広がっており、大勢の兵達が忙しく行き交っています。一行は、さらに、地下へと向かい、衛兵と合言葉の様なやり取りを交わした黒騎士がマキリと兄弟を奥の部屋へと案内しました。

「マキリ様、お待ちしていました。私はナクリと申します」部屋でマキリ達を出迎えたのは、前国王の警備隊、ロイヤル隊のナクリ隊長でした。「我々は、あなた方の敵でも味方でもありません。ただ、事前にキプロス殿から黒蝶鳥で知らせを頂いていたので、お迎えいたしました」

 それを聞いた兄弟は納得して頷きましたが、マキリには、さっぱり意味が分かりません。そこで、ナクリが説明をしました。「私は、もともと、モルフォースとの貿易を担当する商官でした。書類はモルフォースの伝蝶鳥という鳥が運び、商品は、カスパーの商船が運んでいました。その船の船長がキプロスだったのです。その後、私は国王の警備隊で隊長を務めていましたが、ご存知のように内戦状態のため、今は無政府状態です。国王の警備隊も解散、隣国との貿易も全てストップしています」

「なるほど。それにしても、少し手荒いお迎えでしたな」とマキリが少し呆れて答えました。

「失礼しました。皆さんを襲ったのは、ナトラン王子の軍です。モルフォースをはじめ西側の水門は殆どナトラン王子の軍に占拠されています。逆に東側はイギン王子に。今は南の水門で争っていますが、いずれ、この北の本城が決戦の場となることでしょう」

「なぜ、両軍とも最初から、この城を狙わないのですか?」

「我々が守っているからです」

「しかし、あなた方、つまり、ロイヤル隊は解散したんじゃ・・・」

「ええ、そうです。ですから、今、ここに残っている者は有志のみです。私も今は隊長ではなく、有志の一人でしかありません」

「なるほど、そういうことでしたか・・・ところで、さっきの黒騎士は?」

 マキリ達三人は、消えてしまった黒騎士を探して、ぐるりと部屋を見回しました。

「ああ、あの黒騎士は自警団のラドガー団長です。その名の通り、民の有志による警備隊で、主に密輸船や盗賊の取り締まりを自主的にしていました。今も自警団は我々の味方です」

「味方で良かったよ・・・」安堵のため息をつき、何となく落ち着いてしまったマキリにキプロスが急かすように言いました。

「マキリ様、そろそろ、本題を」

「そうだな。ナクリ殿、我々が来た理由を知っておられるか?」

「ある程度、先の知らせにて存じております」

「ならば、話が早い。女王いわく『醜い兄弟ゲンカ』を終わらせる策を・・・」

「醜い兄弟ゲンカですって!」突然、ナクリが大声を出しました。そして、神妙な面持ちで、こう続けました。「この内戦で、家族を守るために故郷に戻り、仕方なく東や西の軍に付いている仲間達が沢山います。ここに残った者の中にも家族が東や西の軍にいる者もいます。つまり、家族や仲間同士が戦っているのです。殺し合っているのです。これが『醜い兄弟ゲンカ』ですか?兄弟なら、こんな無慈悲な争いは望みません!」

 キプロスとアドラスは胸を締め付けられる思いで、お互いを見ました。更に、ナクリは話を続けました。「イギン王子とナトラン王子は兄弟などでありません!二人とも欲に塗れた、ただの侵略者です。どちらが勝利しても、それは、カスパー国の破滅の始まりに過ぎません。ですから、一刻も早く、この争いを止めなければならないのです!」

 マキリはナクリの話を黙って聞いていました。そして、ナクリが落ち着くのを待って尋ねました。

「ナクリ殿、王が不在の今、あなたは一体、何を守っておられるのですか?」

「正義です!」ナクリは迷いなく、直ぐに答えました。

それを聞いたマキリは納得した表情で大きく頷きました。

 

 マキリとエガ兄弟の三人は、その夜が、まだ明けぬうちにカスパーを発ち、モルフォースに戻ると、早速、オールル女王に報告しました。

「マキリ殿、一夜で戻るとは随分と早いですね。それで、いかがでしたか?」

「はい、女王様。カスパーの内戦は単なる兄弟ゲンカではなく、あの王子達による侵略です。何としても決戦の前に止めなければ、どちらが勝ってもカスパーに未来はないのです」

「それで、何か策が?」

「ええ、つまり、戦えない状態にすればよいのです。女王様にも、いくつかお願いがございます」

 マキリはカスパーの状況や考えた策など、全てをオールル女王に伝えました。

「マキリ殿、よくわかりました。必要な物は全て提供します、キプロスにも手伝わせましょう」

マキリは早速、キプロスの工房で道具作りに取り掛かりました。カスパー国の地図を広げて各城までの正確な距離や角度を測り、計算を重ねていきます。一方、キプロスはマキリの指示でリンドンという共鳴石を円形状に加工していきます。

「キプロス、その先に伝導石を付けてくれ、数字はこれだ」

「わかりました」

更に、マキリは、もう一つ何かを作るために金属の加工を始めました。

 その頃、イギン王子とナトラン王子のもとには、オールル女王が放った伝蝶鳥の知らせが届いていました。西のナトラン王子は伝蝶鳥の背に取り付けられた書簡から伝書を勢いよく抜き取りました。「モルフォースの女王が、今更、何の用だ・・・」 広げた伝書には、こう書かれていました。

 

『天に風吹かば、地に波立つ』

 

 時を同じく伝書を手にした東のイギン王子も、その意味を直ぐに理解することが出来ました。

「つまり、戦を止めなければ、嵐を起こして船を沈めるということであろう。これは単なる脅しか?はたまた、あの噂は本当なのか?」

 モルフォースの女王は代々、天候を操る魔術を持つ魔女『風の女王』とも呼ばれています。古代の戦いで女王が起こした嵐が敵軍を壊滅させたという伝説もあり、古くから恐れられてきました。

「モルフォースの魔女め!」そう言って、イギン王子は北の城の高台から薄っすらと見えるモルフォースの山々を睨みながら伝書を握りつぶしました。

 

 数日後、夜明け前にマキリとエガ兄弟は再び水路からカスパーへと侵入し、北の本城へと向かいました。城は相変わらず静けさを保っていましたが、城の内側に回り込むと、物々しい武装の準備が着々と進められていました。マキリ達は港で中型の船に乗り換えました。

「マキリ様、お待ちしておりました。道具はどちらに?」、船内から出てきたナクリが言いました。

「ああ、この中に」マキリは肩から掛けた小さなカバンをポンポンと叩いてみせました。

「意外と小さいんですね!」ナクリは驚きました。

「小さなもので、いかに大きなことを成すか、道具とは、そのアイデアなんですよ。あとは私の計算力と、今回はキプロス、彼の技術力の結晶です・・・あとは運です」

「運?」

「そう、運です。先に言っておきますが、私は、ほとほと運の無い男でしてね。いつも何かしら起こるんですけど、まあ、最終的には、うまくいくんですよ」

「つまり、運は良いということですか?」

 マキリは無言のまま、ニンマリとうなずきました。

「ところで、ナクリ殿、情報は本当に間違いないのですか?」

「はい、西の城にいる者からの信用出来る情報です。今晩、ナトラン王子の軍が本城に向けて発ちます」

「もし、違ったら?」

「家族を守るために、やむなく西軍側に入った元部下からの情報です。私は彼を信じます」

「わかりました」

 マキリ達一行を乗せた船は夜明けとともに本城を出航して、西の岬へ向いました。モルフォースのオールル女王が提案した知らせを無視して、本城を攻めようとしている、西のナトラン王子の軍を止めるためです。マキリ達も争うつもりはありません。仮に本城が決戦の場となったとしても、東西いずれの軍にも本城軍は人数的にも武力的にも勝ち目がないことが、わかっていました。そして、何よりも家族や仲間同士が、これ以上、争わなくていいようにという願いを込めた作戦でした。極秘作戦のため、乗船しているのはマキリとエガ兄弟、黒騎士とナクリに数人の有志隊のみでした。

 

 その頃、西の城では北の本城に向けて出航する準備が既に始まっていました。マキリ達に入った情報は間違いなかったのです。しかし、西軍の指揮をとるナトラン王子は港に臨む高台で落ち着きなく、ウロウロとしていました。実は少し迷いがあったのです。その様子を察した参謀のダンケルが声を掛けました。

「ナトラン様、いよいよですね!」

「しかし、ダンケルよ」

「風の女王なんて、単なる脅しでございます!」ダンケルがナトラン王子の不安を打ち消すかのように言いました。「ナトラン様、現在、戦況は硬直状態です。このまま互いに動かなければ、イギン王子は、自分が次男であると継承権を主張して女王を味方につけることでしょう。ですから、東が攻めを迷っている今、先に北の本城を落とす必要があるのです。今が好機なのです」

「そんなことは、わかっておる!女王と手を組むなどあり得ん!」

「その通りでございます。そもそも、モルフォースなど、他の国に、とやかく言われることではないのです!カスパーの王はカスパーが決めるのです!」

「その通りだ!」不安を捨て去ったナトラン王子は、港に集まった兵達に大きな声を掛けました。

「諸君、いよいよ、この西の王が北の王となり、カスパーを治める時が来たのだ!長男だから、次男だから、王になるのではない!強く、賢く、ふさわしい者が王になることを示さなければならいのだ!」

 さらに、ダンケルの掛け声に兵隊も湧きあがります。

「我らに勝利を!ナトラン様に栄光を!」

「オオッー!」

 

 マキリ達の一行は日が落ちるのを待って西の岬に近づきました。西の城は岬からそう遠くはありません。ナクリが双眼鏡を覗きながら、西の城の様子を伺いました。

「やはり、港には軍船と兵が集結し、出航の準備をしています。マキリ様、急ぎましょう!」

 西の岬には監視塔があり。そこから、ナトラン王子の軍が、しっかりと見張っています。慎重に船を監視塔から離れた場所につけて、一行は監視塔の先ある浜辺に向かうために森を抜けましたが、あと少しというところで、監視塔の見張りに見つかってしまいました。もちろん、見つかることも想定していたため、二手に別れました。黒騎士は有志隊を連れて、監視塔から下りてくる見張りの兵達を止めに走り、ナクリとマキリ達は、そのまま、浜辺へと駆け抜けました。

「よし、波も小さいし、予定通りだ」そう言って、マキリはカバンから道具を取り出しました。

「えっ!これが例の・・・『ポセイドンの音叉(おんさ)』ですか?ち、小さいんですね!」ナクリは、驚きを隠せませんでした。しかし、マキリ達は「えっ、何が?」と言わんばかりです。形、大きさは片手で持てる虫眼鏡のような感じです、持ち手は革で持ちやすく、持ち手の下の部分には玉状の石がついています。逆に持ち手の先には加工された、手のひらサイズの石の輪などが付けられています。

「ええ、これが、ポセイドンの音叉ですよ。リンドンという共鳴石で作るんです。まあ、これは、キプロスが加工した伝導石付きの特別版ですがね。もともとは漁師達が・・・」

「マキリ様!灯台から西の城に知らせが行く前に!」キプロスがマキリの話を止めに入りました。マキリは道具の話になると、つい熱く語ってしまう癖があるのです

「そうだった、では、早速」そう言って、マキリは浜辺から、バシャバシャと水に入ると、ポセイドンの音叉の持ち手の石玉の部分を専用のスティックで軽く叩きました。辺りに「キーン」という高い音が薄っすらと響きましたが、特に何かが起こった様子はありません。

「方角は?」マキリがキプロスに尋ねました。

 キプロスが伝導磁針で方角を確認します。

「少し、東・・・そこです」

 マキリは、その方角を向いて、ポセイドンの音叉の先を静かに水に付けました。すると、その先から、ふわっと出た波紋が、まるで波に逆らって泳ぐ蛇のように、するりするりと湖の奥へと進んでいきました。

「マキリ様、西の城はもっと西ですが・・・」ナクリが不安気に言いました。

「ナクリ殿、そう焦らずに。ポセイドンの音叉は水中で響かせると、一定の方向に波を作り出します。更に、何かに当てて跳ね返すと、波の大きさは何倍にもなり、強大な力を持ちます。今回のために、地形、水深、距離、角度、波の強さの全てを計算して作りました。更に伝導石が、それらを正確に進めてくれるわけです。もうしばらくすると、この先にある水門の壁に当たって、その大波が西の港を襲い、ナトラン王子の軍船は壊滅、戦闘不能、そういうわけですよ」

 マキリは得意気に解説をしながら、波の走る方向を指さしました。ところが・・・

「ん?変だな」とマキリは波の先を目を細めて見ました。「半分戻って来ている?」

 妙なことに、蛇のように真っすぐ進んでいた波紋が途中から二匹の蛇に別れたかのように半分だけ、こちらに戻って来ていました。しかも、その波の高さは段々と増しているではありませんか。

「あそこに巨大な岩でもあったか?」マキリがキプロスに聞きました。

「いいえ、地図にはありませんでした」

「ではなぜ?何かにぶつかった?」

 そこへ黒騎士と有志隊も駆けつけました。

「例の道具は?」黒騎士が聞くと、気まずそうにマキリが答えました。

「それが・・・」

「はっ、もしかして!」ナクリが大きな声を出しました。その時、

 ザバザバザバァァァ!

 水滴をぼたぼたと落としながら、長く大きな魚の背びれがゆったりと水面に顔を出しました。 

「こ、甲竜魚!そういうことか!」マキリが言いました。

 甲竜魚は、このサニー湖だけに生息する巨大な魚です。その全長は三十メートル、鱗は鋼のように硬く、槍や剣をも撥ね返す程でした。大きな背びれや長い尾ひれから、その姿がまるで竜のようにも見えることから甲竜魚と呼ばれています。大人しい性格で暴れることはありませんが、この時は丁度、ポセイドンの音叉による磁力を含んだ波にぶつかり驚いたのか、水面に姿を現したのです。甲竜魚は再び、湖の底深くへ潜っていきましたが、問題はぶつかった波です。

「逃げろ~!」

 マキリが大声で叫びました。一同は湖に背を向けると浜から監視塔の方へと駆け出しました。さらに監視塔から浜へと追いかけてきたナトラン王子軍の兵達も一同のただ事ならぬ勢いと、その後ろを追う大波に驚き、もはや敵も味方もありません。そこにいる誰もが我先と監視塔の上へ階段を駆け上がろうとしていました。追いかけてくる大波、その高さは、いよいよ増していきました。   

ザババァァァーーーーーン!

 遂に大波が監視塔に覆いかぶさり、てっぺんのとんがり屋根で砕かれた大量の水は森の木々をなぎ倒しながら流れていきました。石と鉄で頑丈に造られた監視塔は大波にも、びくともしませんでした。

「皆、大丈夫か?」真っ先に監視塔の室内に逃げ込んでいたマキリが外の様子を伺い言いました。

「大丈夫」「大丈夫だ」「ここでーす」・・・同じ室内から、また階段の手すりや外壁の金具などにしがみついた敵味方、それぞれの面々が無事の声を上げました。そもそも大波を起こした犯人がマキリ達とは知らぬナトラン王子軍の兵達は助かったことを喜び、もはや敵も味方もない一体感さえ生まれていました。

その頃、甲竜魚にぶつかることのなかった一部の波紋は予定通り沖の小島にぶつかり、同じく波の高さを増しながら、西の城へと向かっていました、その先に見えるのはナトラン王子軍の軍船が溜まった港です。大波の白波部分が月明かりで、キラキラと光っています。それに気づいたのは、監視塔で難を逃れたナトラン王子軍の兵でした。

「あれって、城に向かってる・・・?」兵の一人が言いました。

「ああ、船が、やられるよな・・・?」別の兵が言いました。

「でも、波が半分なので、船も半分は残るよ。計算とは違うけどね」マキリが残念そうに言いました。それを聞いたナトラン王子軍の兵達が声を揃えて言いました。

「計算とは違う??」・・・その時です!

ヒューゴー!

その音は西の城の方から聞こえてきました。

「なんだあれは?」ナクリが西の城の上空を見上げて言いました。辺りの雲が集まり、西の城の上空で大きな渦を巻き始めています。やがて、そこからクモの糸のように一筋の渦が垂れてきました。

「竜巻が起こるなんて予報はなかったけど・・・半分の大波×竜巻で船を全滅出来るかも?」マキリがポツリと言いました。その予想は的中します。

ヒューヒューゴゴー!ザザー!

 竜巻によって引き上げられ、高さが増した大波がナトラン王子軍の軍船を襲うとしています。勿論、ナトラン王子軍も気付いています。港は大騒ぎです兵達は慌てて船から港に架けられた橋を渡り陸地へと移動しました。どの兵も武器や積み荷もそのままに出来るだけ高い場所を目指して懸命に走りました。城の高台から、ダンケルが叫びました。

「ナトラン様!嵐でございます!」

ヒューヒューヒューゴゴゴー!ザザザアーーー!

 風は、いっそう増して、遂に大波が港を襲いました。船は宙に舞い港の壁に叩きつけられ、粉々になってしまいました。軍船が凸凹とひしめき、兵達の戦意で賑わっていた港は、あっという間に何もない冷めた更地のようになってしまいました。

ヒュー ザー ヒュー ザー

 次第に風と波も穏やかになり、船の破片がぷかぷかと虚しく水面を漂いました。マキリの狙い通り軍船は全壊し、ナトラン王子軍は戦うことが出来なくなったのです。

監視塔にいたナトラン王子軍の兵達も諦めるしかありませんでした。中には戦えなくなったことに安堵のため息をつく兵もいました。マキリ達も結果をゆっくりと噛みしめていました。

「マキリ様、作戦成功ですね!」アドラスが嬉しそうに言いました。

 マキリは、とりあえず、苦笑いをしながら頷いてみせました。突然に起こった大きな風に納得がいかなかったのです。ただし、結果的に上手くいったことには納得して、再び星が見えだした夜空を見上げました。

一方、この状況を高台から見下ろしていたナトラン王子も、ゆっくりと夜空を見上げて悔しそうにつぶやきました。

「おのれ、風の女王・・・魔女め!」

 ナトラン王子軍が壊滅したことは、その夜が明けぬうちに、カスパー国内は勿論のこと、モルフォースや隣接する国々にも知れ渡りました。

 

 それから7日後、カスパーの北の本城広場にて王位継承式が行われました。広場には多くの民が集まっていましたが、歓迎のムードは微塵もありませんでした。王位継承の順番で、双子の兄である次男のイギン王子が次期国王になることになっていたのです。この式に、モルフォースのオールル女王をはじめ、周辺国の要人達も招かれて、既に大司教が待つ舞台上の席に座っていました。マキリと一行は広場から様子を伺っています。ナクリは再び、国王の親衛隊であるロイヤル隊の隊長として、舞台袖のイギン王子の傍で警戒心を高めていました。

 ゴーンゴーンゴーン、大きなドラが打ち鳴らされ、広場に鈍い音を響かせました。イギン王子は広場の中央にある舞台に上がり、オールル女王をチラリと見て言いました。

「私のところには風が吹かなかった。あなたではなく、神が私を選んだのだ。そもそも、次男は私だ、順番からすれば、当然のことなのだ!」

 オールル女王は皮肉に満ちた笑顔で軽く会釈をしました。そして、王に仕える大司教が、新国王として、イギン王子の名を口にしようとした、その時、

「待て、意義あり!」

広場の民衆の中から男の声が聞こえました。男は舞台の前に、さっと進み出ると、纏っていた小汚いローブをかなぐり捨てました。現れたのはナトラン王子でした。

「確かに船は失ったが、イギンと戦ったわけではない。何をもってして、私が敗北したというのだ。そもそも、なぜ、この隣国の魔女は勝手に審判のまねごとをやっているのだ!」

 ナトラン王は剣をオールル女王に突きつけようとしました。マキリとナクリは手が届かずに、はっとしました。その時、キーン!その剣を一本の矢が払いのけました。放ったのは舞台袖にいた黒騎士です。そこへ、突然、ナトラン王子軍の残党兵がなだれ込んで来ました。イギン王子軍とロイヤル隊、そして黒騎士の一団も加わった四つ巴の状態です。しかし、民衆は冷静でした。誰が有利なのか直ぐに判断出来たからです。既に舞台上では、イギン王子にはナクリが、ナトラン王子には黒騎士が、それぞれ、その首に剣を突き付けていたのです。既にオールル女王の傍に駆けつけていたマキリは先端に響空石が付いた短い杖を女王に渡しました。すると、オールル女王は椅子から、ゆっくりと立ち上がり、大きく息を吸って言いました。

「全員、武器を放しなさい!」

 まるで、雄叫びの様な女王の声は共鳴石によって増幅され、広場の壁の外まで広く響き渡りました。その振動に誰もが震えを成し、ナクリも黒騎士も皆、持っていた剣を手から放してしまいました。オールル女王は心を落ち着かせてから、ゆっくりと話を続けました。

「カスパーの民よ、そして、いずれの兵も皆、私の話を聞くのです。前国王のイルラン様は大変、豊かな心で何よりも民の幸せを願う方でした。ところが、その息子達は皮肉にも大変、欲深く育ってしまったのです。長男のガルバ王子は金に目がくらみ、サニー湖だけにしか生息していない貴重な水産物を大量に輸出しようとしていました。勿論、イルラン王は、それを許しませんでした。その結果、最も乗りなれた自分の船から落ちて亡くなるとは、ほとほと信じがたいものです。そんな親不孝者の長男に毒を盛ったのは・・・」オールル女王は握っていた拳を開いて、手の平にふっと息を吹きかけ、そこから美しい一匹の蝶を放ちました。蝶は柔らかく宙を舞い、次男のイギン王子の肩にとまりました。

「何のまねだ、私が兄者を殺したと言いたいのか!」鋭い目でオールル女王を睨みながら、イギン王子が怒鳴りました。その瞬間、イギン王子の肩にとまっていた美しい蝶が突然、色を失い、枯れ葉のように風に吹き飛ばされてしまいました。実際は、イギン王子がガルバ王子に毒を盛ったかどうか、定かではありませんでしたが、広場の民衆や兵達が、イギン王子の悪意を感じ取るには十分な見世物でした。オールル女王は話を続けました。

「そこに、三男も加わり、案の定、愚かな争いに・・・」

「では、なぜ、止めたのだ?放っておけば、望み通り、この国は滅亡していた」ナトラン王子が言いました。

「誰も滅亡など望んでいません、むしろ滅亡しては困ります。サニー湖の水は、モルフォースの自然にも大変、大きな影響を与えるからです。国王が変わると、それが危機にさらされると心配していたのですが、その必要はありませんでした」

 オールル女王の言葉に人々は困惑しました。

「一体、何が言いたいんだ?」イギン王子が言いました。

「リオン!」

 オールル女王が呼んだ名に、イギン王子とナトラン王子の表情は固まりました。静まり返った広場、その舞台上で、オールル女王の前にゆっくりと歩み寄ったのは黒騎士でした。

「仮面を外しなさい、今がその時です」

女王の言葉に従い、黒騎士は、ゆっくりと仮面とカブトを外しました。現れたのは、鋭い眼差しながらも色白の美しい顔立ちの者でした。その姿に皆、驚きました。雑に束ねたブロンドの髪を下した時、その者が女性であるとわかったからです。イギン王子は驚きながらも悔しそうに言いました。

「本当にいたのか?」

 同じく、ナトラン王子も彼女が何者であるかに気付いていました。

 実は、カスパー国では王家に女の子が産まれると水難を招くという古くからの言い伝えがあり、しきたりにより女児は産まれてほどなく、決められた識者のもとへ里子に出されることになっていたのです。しかし、前王妃は娘を愛するがあまり、娘と離れて暮らすことを受け入れられず、なかなか里子に出すことが出来ませんでした。そうして、一年が経った頃、見かねた王が識者達と共に王妃のいぬ間に娘を里子に出してしまったのです。王妃は深い悲しみに沈みましたが、同時に国のためにと受け入れました。ところが、十年後、娘と識者が船で移動していたところを海賊に襲われて行方がわからなくなってしまったのです。この時ばかりは、王妃も悲しみの底に落ちてしまいました。結局、王妃は病を招き、そのまま亡くなってしまったのです。王も民も皆、悲しみに暮れました。これをきっかけに、この古いしきたりについて賛否の議論もされるようになりました。ナトラン王子とイギン王子にとっても自分の母親が亡くなったのです。当時の両王子は、まだ、十歳でしたが、この出来事のことは、はっきりと覚えていました。

「父上から、探していると聞いたことはあったが、こんなところに紛れていたか」ナトランが言いました。そして、オールル女王が事情を話し始めました。

「彼女は海賊に襲われた時、黒騎士の一団に助けられていました。ところが、黒騎士の一団は彼女が王女だとは知らずに、そのまま仲間として育ててしまったのです。お蔭で立と派な戦士に成長しました。そして一年前、調査していた、ナクリ殿が彼女の存在に気付き、前国王に報告しましたが、ちょうど、ガルバ王子とのもめごとが始まった時期でもあったため、前国王は彼女のことを内密にされました」

 しきたりや出来事を噂程度でしか知らなかった民達は驚き、ざわつきました。イギン王子は疑問に思い、オールル女王に聞きました。

「ではなぜ、あなたが知っているのだ?」

「半年前のことです。カスパー国の行く末を案じた前国王が私に書簡をくださいました。そこに書かれてあった、亡き王妃に対するご自分への戒め、その苦悩に満ちたお言葉に大変、胸を打たれました。以来、カスパー国の動向を陰ながら見守ってきたのですが、残念なことに前国王は・・・」

オールル女王の不甲斐ない表情に、イギン王子は複雑な気持ちになりました。

「母上が亡くなられた後、父上は新たな王妃を望むこともなく、何年も何年も悲しみに暮れた。そして、母上の姿を求めるかのように、その娘の行方ばかりを追っていた。私は、そんな父上が弱々しくみえてならなかった。一方、兄者は人にも、名声にも興味を持たない、単なる金の亡者。いずれ、この国は悲しみと欲に塗れて滅びゆくと思った。それを止めるには『強さ』が必要だったのだ!ナトランもそれをわかっていたはずだ」苦々しく言った、イギン王子の言葉に、ナトラン王子は心を解放されたかのように大きなため息をつきました。この様子に広場の民達は両王子に対する気持ちの変化を感じ始めていました。

「前国王が私を頼りにしてくださった理由は二つあります。一つは同じく自然を愛する者として、そして、もう一つは私が一国を治める『女王』であることです。イギン王子、あなたは先ほど、『順番からすれば、当然のこと』と言いましたね?」

オールル女王の問いに、イギン王子が答えました。

「ええ、確かに言いました。そして、あなたが何をおっしゃりたいのかもわかりました。我々は三つ子として産まれました。私と弟のナトラン、そして」イギン王子は仮面を外した黒騎士を見て言いました。

「リオン、我々の・・・姉上」

 リオンは表情を全く変えませんでした。そして、こう言いました。 

「確かに、今、この国には『強さ』が必要だと思います。しかし、それは、あなた達が示した『強さ』とは違うものだったのです」

 オールル女王をはじめ、そこにいる皆が、イギン王子とナトラン王子の答えを待ちました。すると、それを催促するかのように、ナトラン王子が、イギン王子に目で合図を送りました。

「馬を!」イギン王子が叫びました。

「我にも馬を!」ナトラン王子も叫びました。

両王子は、それぞれの兵と共に駆けつけた馬に飛び乗りました。そして、馬上から、イギン王子が言いました。

「この国に難を招いたのは女ではなく、我々、男だった。勝利も敗北もいない、結果として姉上が一番、強かったのだ」

 イギン王子の、その言葉は、カスパーの古いしきたりを否定し、『新女王』の誕生を意味するものでもありました。さらに、イギン王子は「我々は国を出る。オールル女王、そして・・・リオン女王、お達者で!」そう言って、馬を走らせ去って行きました。

 思わぬ展開に状況を把握出来ていない者も多くいました。しかし、

「今、ここに、カスパー国の新女王が誕生したのです!」

 オールル女王の一言で広場の皆が一喜一憂しました。各兵士達は安堵の表情を見せ、民は大いに喜びました。

「マキリ殿、あれを」

 オールル女王の指示でマキリが舞台上に木箱を持って来ました。

「リオン女王、モルフォースからの贈り物です」そう言って、オールル女王は木箱の蓋を開けて中の物を取り出しました。ただの枯れ葉の束です。ところが、マキリが木箱の中から取り出した金色の噴霧器で暖かい風を当てた途端、枯れ葉は見る見るうちに緑や黄や桃の美しい色に変わりました。よく見ると、それは、一枚一枚が蝶の様な形をしたフリルの葉でした。葉は一気に舞い散り、その様子はまるで沢山の蝶が飛び立つようにも見えました。そして、オールル女王の手の中には王冠が現れました。それは、

「なんと美しい」リオン女王が言いました。

「最高の道具職人が作りました」オールル女王の言葉に照れながら、マキリが説明しました。

「カスパーのシリル山で採掘された、ミュール(青く輝く軽金属)を湖上の国らしく、水が跳ね多様に形作りました。中には、サニー湖沿岸で採掘された、カローナ(美しい紫の宝石)が散りばめてあります」

「まさに、カスパーの象徴です」そう言って、オールル女王は、リオン女王の頭上に王冠をそっと載せ、更に水色のマントで黒い鎧を覆いました。そこにいるのは、黒騎士の影など微塵もない美しい女王様でした。

「オールル女王、マキリ殿、ありがとうございます」そう言って、リオン女王は広場に集まっている、カスパーの民と兵達に向けて胸を張り、こう語りかけました。

「このカスパー国において、強さとは、権力でも、財力でも、腕力でも、知力でもありません。それは『優しさ』です。全てを愛し、受け入れ、許し、感謝し、時には自分を犠牲にも出来る『優しさ』なのです。けして簡単なことではありません。なぜなら『優しさ』には、大きな『勇気』が必要だからです。それは誰もが持っているものです。誰もが強くなれるのです。それが、このカスパー国の豊かさなのです」

 新しいカスパー国は、新しい女王の誕生と共に本来の強さと豊かさを取り戻したのです。

 

 

道具職人マキリの仕事