035:治療完遂ハラト作戦其の1。

治療完遂ハラトシ作戦編 035:治療完遂ハラト作戦其の1。

 

2017年5月2日(火)(抗がん剤治療1/2回目・放射線治療7/39回目)

 

抗がん剤の副作用と思われる症状は、思っていたより早く治まりました。おそらく、残っているのは味覚障害だけです。

 

お腹は空きますが、味覚が圧倒的に薄いので、口に入れた瞬間、食欲が一気に失せます。しかも噛む力も飲み込む力も弱い。絶対に痩せられない治療を受ける身としては、すこぶる高いハードルを目の当たりにしているトキでした。

 

これが段々、酷くなりながら2か月以上も続くというのです。

 

病院の廊下に貼ってあるポスターには、『がんと共に生きる』、『がんと向き合う』などの言葉が並んでいますが、そんな悠長なことは言っていられません。

 

トキの相手は『がん』というよりも、ズバリ『治療の副作用』です。治るも治らないも、まずは予定の治療を終えてこそです。そこに行き着くために、いかに耐えて乗り越えるかと言う『自分との闘い』なのです。

 

折角、治る可能性の高い治療法があるというのに、その治療そのもので、くたばるわけにはいきません。そこで、トキは病に勝つためとかではなく、

 

いわゆる、『無事に治療を完遂するための作戦』を立ててみました。

 

あくまで、2017年5月現在、44歳、既婚男性、会社員の場合ですが、諸々の確認です。

 

 

1-1:お金(支払いと保険)

 

トキは、しがないサラリーマンです。当然ですが、お金が無ければ、治療を受けるスタートラインにも立てません。甲状腺がんで手術と入院になった時点で、『健康保険限度額適用認定証』を申請し、既に交付され所持していました。これで基本的に『健康保険』内のことであれば、ひと月に、いくら医療費がかかろうとも、

 

月に10万円程度で済むのです、残りの圧倒的な金額は誰が払うのでしょうか?


 

有難くも、よく考えると、これは恐ろしいことです。トキは以前、取材したファイナンシャル・プランナーの方が

 

「日本は税金のわりに医療保険が手厚すぎる、先で必ず破綻する!」

 

と言われていたことを思い出しました。まさか、自分が、それを加速させることになろうとは…因みに、『入院中の食事代』は医療保険制度の中で明確に決まっています。1食につき360円(2017年5月時点)、さらにプラスで豪華と言うか、メニューを変更することも出来ます。つまり、月に10万円+(食事代2~3万円)程度が必要というわけです。自己負担とは言えども、プラスなんかしている場合ではないと、トキは思いました。

 

さらにトキは、数年前に、任意保険の担当者に薦められて『がん保険』にも入っていました。一括で、ある程度の金額がもらえるのですが、次はありません。まさか、直ぐにお世話になるとは思いもよりませんでしたし、『入っていて、ラッキーだった!』とは言い難い複雑な思いです。他、入院1日につき、いくらという保険にも入っていたので、今回の治療における自己負担だけを考えれば、充分に払うことが出来そうです。あくまで『今回の』ですが。いずれにしても、任意保険の担当の方が、トモを通じて本当によくしてくださっています。

 

1-2:仕事(休職と復職)

 

トキは会社員です。担当していたた仕事は社内や外部の誰かに引き継がなければなりません。トキは甲状腺が発覚した時点で、それらの引継ぎ資料を時間を押しながらも作っていました。会社に対しては、諸々の手続きのために医者の『診断書』が必要です。現時点では病名と治療により、入院する期間を見込みで書いてもらい、提出するしかありません。後は治療の結果による状況を随時、報告しますが、診断書は1通作成してもらうのに5千円ほどかかります。そこで、会社は、これを必要最小限とし、他、随時の連絡は、ご時世柄、スマホからのメッセージでもよしとしてもらえました。また、緊急時のために、会社には、トモの携帯の番号も伝えていました。現状、U先生の見立て通り、順調にいけば、7月中旬に退院、自宅療養を経て8月から仕事に復帰の予定です。

 

つまり、会社を計3か月間も休むことになります。しかし、トキがいなくても、会社と世の中は変わらず回り続けるでしょう。

 

トキにしか出来ない仕事というものは、そうはありません。会社なので、そうでなければならないのです。また、お客や取引先に、その理由が何故なのかと伝えることは、極力、控えてもらいました。トキの働いている業界は他と比べ、時間的に過剰な業務が必要なことで知られています。勿論、トキも会社も必要に応じた範囲は理解して行ってきました。しかし、

 

働く成人が体調を崩した時に、人がかける言葉は決まっています。そう、「働きすぎ」です。

 

結果として、それが、がんともなれば、会社もトキも良い印象は持たれないのです。トキは家族以外のお見舞いは断るつもりでしたが、特に仕事関係では知っている方も少なく、見舞いにという形もなかったのです。復帰の時期はあくまで予定ですが、とりあえず3か月なら、色々な意味で、それほど変わりのない状況に戻れるのでは、トキは考えていました。勿論、会社や親しい方々の支えがあってこそ。まずは、予定を決定とすべく、治療を無事に終えることです。

 

1-3:家族と友人(トキのいない日常)

 

保険の助けで医療費は払えても、

 

仕事は休むわけですから収入はありません、家族の生活はどうなるのでしょう。

 

トキが会社に提出している『勤務表』で、会社が状況を確認していますが、まだ、処理されていない『有給休暇』『休日出勤分』などを相殺することで、多少は有給のまま休暇できる日数を稼ぐことが出来そうです。細かくは日割りになりますが、結果として、

 

2か月半程は無収入という状態になります。

 

任意保険の担当者から、『傷病手当金』というアドバイスがありました。申請すると、最長で1年半も、給料の約3分の2に相当する額が支給されます。しかし、同じ病名では1度しか出ません。つまり、今後、再発や転移で必要となった場合は申請が出来ません。順調にいけば、無収入の状態は2か月半です。ありがたいことに、トモも働いてくれています。そこで、トキは今回、『傷病手当金』の申請をしないつもりです。

 

家族については、ウタは中学2年生です。ご飯も炊けるし、一人でお留守番も出来ます。そもそも、トキの帰宅は毎晩遅く、既にトモとウタの二人きりという環境は、それなりに出来ていたこともあり、トキは、

 

『入院中、自分が家にいなくても、それ程、違和感はないのでは?』 と、勝手に思っていました。

 

そう、思いたかったのです。また、親族と各方面の関係者に友達などに隠す必要はないのですが、誰に、どこまで伝えるかと言うのは難しい判断です。

 

トキが『がん』だと知ると、その人は心配します。その後、連絡がないと、死んだのでは?と思うかも知れません。つまり・・・伝えるということは、その人にも、ある意味、背負わせるということでもあるのです。

 

トキは最終的に『死亡保険』まわりの確認もしましたが、微々たるものです。『団体信用生命保険』によって、遺族の住宅ローン返済は全額免除されるものの、ウタが大学まで行くには全く持って足りない状況になります。結局はお金です。

 

トモが働き、女手一つでウタを大学に・・・それを思うと、『とても死ねる状況ではないなあ・・・』

 

と、トキは、この点については、大きな、大きな、大きな不安を抱えていました。

 

1-4:遺書と連絡網

 

トキは、バンド関係の友人が突然、亡くなった時、その通夜に駆けつけたところ、

 

奥さんから「すみませんが、主人と同じバンドのメンバーの方ですか?」と聞かれたのです。

 

答えは違います。つまり、奥さんはご主人の趣味とはいえ、そのバンドのメンバーさえ知りませんでした。勿論、その連絡先もです。ご主人の会社以外の付き合いを殆ど把握されていなかったのです。今は、SNSの普及から、誰かの書き込みが拡散することで、その人が亡くなったこと、葬式がどこであるのかを知り得ることも出来ます。しかし、それは、あまり気持ちの良いものではありません。一方、トキの両親は健在ですが、それなりの歳なので終活をしています。

 

トキの両親は 「もし、我々が死んだら、あの場所にある書類を見なさい」 と言うことを既に、トキたち伝えています。遺言状までは、わかりませんが、とりあえず保険や連絡先など諸々です。

 

トキは、この友人の死と、両親の終活から、事前に意識は持っていました。

この度は、その必要性が非常に高い状況になったという理解もしています。

 

 

トキは病室に持ち込んだパソコンを使って、自分が死んだ時の連絡先一覧表を作りました。この人たちに「皆さんに伝えてください」と言えば、一発で皆に伝わるという、各関係の代表者の連絡先一覧です。

 

タイトルは『ボクがいなくなった世界へ』

 

文面は、こう始まります・・・ 


 

いつ死んでも、きっと悔いは残るが、せめて諦めの付くように。そして何よりも、心から猛烈に愛した人々が悲しみ、迷わぬ事を心から願って。

 

さて、遺言ですが、まずもって相続するほどの財産はありません。トモとウタに遺せるのは思い出と言葉ぐらいです。トキは思いつく限りの言葉を集めて短いメッセージをしたためました。本当は葬式時に式場で流してほしいBGMなども書き込みたいところでしたが、今は、そこよりも時間をかけたいことが多々あります。こうして、完成した書類のファイルを、トキはパソコンのデスクトップに置きました。トモには、「いざとなったら、このファイルを見て」と伝えるつもりですが、それは、まだ先にしようと少しばかりの余裕もありました。トキは遺書なるものを書きながらも、心のどこかでは、『まさか、死ぬことはないだろう』とも思っているのです。そんなもんです。さて、勿論、完璧とは言えませんが、とりあえず、お金、保険、仕事、家族、友人、遺書・・・

 

 

要は、この度、もし、死んでも、準備は大丈夫。

つまり、死んだ時のことを考えて、オロオロする必要がないのです。また、他の全てを忘れて、ただ、治療をいかに乗り越えるか、それだけを考えればいい状態が出来ました。そうです、トキの『作戦』は、既に始まっているのです。

 

※画像は、かつて、憧れのフレディ・マーキュリーに僅かでも近づこうと夢見たトキ。